植木産地としての発展
34代目・坂上頼泰公による花木の美しさと強さを増し、果樹はその味と結実を豊かにする接ぎ木の技術は、宝塚・山本地区の植木産業の発展だけでなく、日本の衣・食・住に大きな影響を与えました。
この功績を豊臣秀吉に認められ、「木接太夫」の称号を与えられました。また、日本の園芸の発展に大きく貢献したとして、宝塚市より宝塚市特別名誉市民の称号を与えられ、宝塚・山本地区に彰徳碑が設けられています。
木接太夫の活躍以降、宝塚・山本地区は現在に至るまで日本三大植木産地の一つに数えられています。